今回の雲取山登山では、「水」の大切さを実感した。
ひとたび山へ入ると、山頂までの間、のどの渇きを潤す水を補給できる水取場が途中1ケ所しかない。
このため、登山者はここでからっぽになった水筒を、湧き水が滴り落ちる細いパイプの下にあてがって、根気よく水をためていく。
そして曇取山荘のある標高2000メートルでは、自然の湧き水がないため、山荘内で水は貴重品。飲むための水は、山荘の方に頼めば水筒に分けてもらえる。ただ、生活のための水の用意はない。風呂はおろか、蛇口というものが1つもないのだ。
トイレの横にも、雪を詰め込んだバケツが置いてあるだけだ。
「あなたが生きていくために必要不可欠なものは何ですか?」~4、5年前、ある金融系企業の広告にあった、現代の若者たちへのアンケート結果を、今回の「水」体験で思い出した。
この広告は、作家 倉本聡が主催する俳優・脚本家の養成学校「富良野塾」の生徒40人へのアンケート結果についてだった。
授業料がない代わりに、富良野の山中で自給自足の集団生活を送る富良野塾の若者にとって、生きていくために必要不可欠なものの第1位は、圧倒的多数で「水」だったそうだ。続いて2位が「火」、3位が「ナイフ」、4位、5位が「食料」と「住むところ」。
これと同じ質問を、渋谷の若者にしたところ、第1位が「お金」、2位「ケータイ」、以下「テレビ」「クルマ」「家」と続いたそうだ。
「生きる」ということの意味を問いかけるメッセージ広告。
富良野塾の生徒の回答の中で、真っ先に挙った「水」だけが、人間の手で作り出せない自然の恵み。
そして意外に思える3位の「ナイフ」こそ、かれらの自然の知恵なのだ。ナイフがあれば、マキを作って火を起こせるし、外で食料も獲れる、住むところも自分で作ることができる、というのだ。
さらに富良野塾の生徒のアンケート回答の番外には、「人」との答えもあったという。倉本氏自身が不審に思って、回答した生徒へ”これは異性という意味か?”と聞いたところ、「自分は一人では生きていけない。話をする相手の”人間”が必要。異性である必要はない」という答えが返ってきたそうだ。
そんな話も、登山道中パートナーT氏とした。
雲取山の山荘に宿をとった人たちが、不満も言わずに「水のない生活」に従うのも、極端にいえば、この一晩”生きる”ためにここに泊まっている、ということに否でも気づくからだろう。
”雲取山マイスター”の異名を持つT氏と、かねてより計画していた雲取山一泊登山から、本日無事帰還。
上り・下りの両日とも、晴天、無風の絶好の天候に恵まれ、申し分のない登山を体験、そして眺望を堪能することができた。
標高2017メートル 東京都下で最高峰の雲取山山頂へは、奥多摩駅よりバスに乗って40分ほどのところにある「鴨沢バス停」より入山。
上りの初日は、山頂まであえぎながらの約5時間の道のり。
途中、標高1000メートルを超えたあたりから、枯葉道に雪がまじりはじめ、標高1750メートルの七ツ石山を過ぎたあたりで、一面真っ白な雪景色が現れた。
山頂付近の避難小屋で、この雪景色と、間近に見る富士山の眺めを肴に、憧れの山男風コーヒーブレイク。
冷えて疲れた体に、暖かさと美味さが染み込む。
雲取山山頂で眺望を満喫した後、日暮れ前に雲取山荘へ到着。
「夕食6時、消灯9時、朝食6時」の文律にならい、山荘では従順なニワトリ型生活を余儀なくされる。
ただ、疲れきった体には、意外とこの生活が心地よい。”ニワトリ”になってみるのも悪くないのだ。
下りの二日目は、山頂下の雲取山荘を7時半に出発。ゆっくり下って約4時間で、麓の鴨沢バス停に戻ってくることができた。
はじめての一泊登山、おそらく自分ひとりでは、こんなに順調に諸事運ばなかっただろう。
これもひとえに、今回のパートナーT氏による、的確なナビゲーションとアドバイスのおかげだ。
「次回は、秩父にある標高2500メートル級の金峰山に挑もう」と、はやくもT氏と計画中。
ここには、なにやら伝説の娘が営む山荘もあるらしい。
もともと、人間の手を守るために作られたものではなかったのだ。
幕末 長州藩が、鉄砲を錆びから守るため、兵士の手に手袋を被せたことが「軍手」の起源なのだそうだ。
靖国神社の売店の”軍手売り場”にあった説明パネルに、ひとしきり感心。
売り場のすぐ横には、「銃砲は国の宝。命をかけてこれを守るべし」と軍律が札された第二次大戦当時の加農砲(カノンホウ)が展示されている。
幕末から昭和初頭まで、日本を覆いつくしたこの狂気のイデオロギー。
そうと分かると、「軍手」に手を通すことに、鬼の面を顔に押し付けるような恐ろしさを感じる。
唯一の救いは、実際に売られている軍手の、軍手らしからぬ派手さ。
両手のひらいっぱい、指の先まで、日本地図が描かれているものまである。
これ、便利か?
一口飲んで、驚いた。
香り、苦味、そしてほんのりとした甘さが、ぱぁーと口の中で広がって、体の中がポカポカしてくる。
コーヒーがこんなにおいしいと感じたのは、はじめてだ。
裏高尾の日影バス停そばにある「珈琲自家焙煎の店ふじだな」の自家ブレンドコーヒー300円。
煎り立ての珈琲の香りが一杯の狭い店内で、しばし幸福な気分を味わえる。
<交通>
京王線高尾山口駅より、高尾山、小仏城山を越えて、日影沢林道を下って日影バス停前へ 徒歩2時間半。または、JR高尾山駅から京王バス日影行きに乗って15分。
誰もいない谷保天満宮の拝殿の前に、突如クラシックカーのハリボテ登場。
「タクリー号」のプレートをつけたこのハリボテは、明治41年(1908年)8月 日比谷-谷保天満宮の間で開催された、国産初のガソリン自動車による遠乗りイベントから、今年で100年目を記念するモニュメントであることがわかった。
”ガタクリ、ガタクリ”音を立てて走ることから「タクリー号」とあだ名されたその車のハンドルを握ったのが、有栖川宮威仁(たけひと)親王。当時から”自動車の宮様”と呼ばれていたらしい。
この人は、幕末、徳川江戸城総攻撃の際 官軍の総督に任ぜられた有栖川宮熾仁(たるひと)親王の義理の弟にあたる方で、現在の有栖川宮記念公園の敷地を持っていたのもこの人だ。
それにしても谷保天は、なぜこの時期に急ごしらえのハリボテを展示し出したのだろう。
今年が、100周年の記念すべき年だったことを今頃思い出したのか?
谷保天を、学問の神様としてだけでなく、交通安全の神様としても売り出そうと目論んでいるのか?
いずにせよ、前もって計画していたことなら、もう少しマシなモニュメントが用意できたはず。
まあ、愛嬌があってこれはこれでよいのだが..
もっとも、こういうところが「野暮(やぼ)」の語源といわれる、谷保天満宮の伝統なのかもしれない。
絶好の山歩き日和を衝いて、高尾山・陣馬山縦走 第二弾に挑戦。
前回の失敗を糧に、今回は下山までの体力を温存しつつ挑んだところ、約3時間で縦走。
前回より30分、タイム短縮だ。
これもペース配分と踏ん張りどころがわかってきた結果かもしれない(※道中、疲れてきたらチョコレートを食う、途中の茶屋でなめこ汁を食べてまったりしない~などの秘策を用いた)。
そして今日は、どの通過ポイントでも、富士山の眺めと紅葉がすばらしかった。
また、前回は這うようにして辿り着いた陣馬山下山ルートの終点「陣馬山下高原バス停」へも、今回は余力を残して無事到着。
このバス停の裏の山の茂みも、仰ぎ見れば見事な紅葉の彩り。
前回は、まったく気づかなかった。
余裕が無いと周りが見えないもの、と痛感。