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栗城史多くんの横浜ルミネでの講演が始まるまでの間、時間があったので、馬車道駅前にある神奈川県立歴史博物館まで足を延ばした。ここで開催中の特別展「日蓮聖人 中世人の信仰世界」に会期終了直前でぎりぎり滑り込み。
日蓮といえば、その昔 NHK大河ドラマ「時宗」で奥田瑛二が見せた、脂ぎった鬼気迫る演技が思い出される。行く先々で人々から石を投げつけられ、額から血を流しながらも、大声で説法をつづけるという怪僧日蓮を演じたのだった。
日蓮に対して世間一般が持つ、攻撃的で激しい印象も、ここ地元鎌倉では、ひとびとの信仰の篤さとなって今も受け継がれているようで、展示品を解説してくれる学芸員のおじさんの語り口からも、その熱が伝わってくる。
命がけで幕府に上申したという「立正安国論」や、潰れた筆先が尾を引くようにのびる”ひげ題目”と呼ばれる文字で書かれた巨大な曼荼羅図、そして数多く残る肉感的な日蓮像などの展示品から、マグマのような生命力をもった日蓮の姿が浮かび上がってくる。このマグマが、現代にあっても創価学会や立正佼成会、霊友会などの日蓮系教団へと受け継がれている、ということなのだろうか。
講演のあと、楽屋を訪ねることが許されていたのは、どうやら、栗城くんと以前に縁のあった知人や仕事関係の人だけだったらしい。
「栗城くんと同じ北海道出身の者ですよ」という挨拶だけで、警備を振り払って、部屋の中まで入って行ったのは私だけのようだった。
狭い楽屋の中で栗城くんと挨拶を交わしている人たちの様子で、そのことに気がついた。
でも、いまさら後には引けない状況。
思い切って栗城くんに近づき「私、北海道 根室の出身で、今は東京で働いています。週末は山登りばかりしています。」と怪しげな自己紹介をすると、栗城くんはいやな顔ひとつせず、「そーですか、根室ですかぁ!」と元気に笑顔で答えてくれました。
良かニセたい!(薩摩風)
この後、ずうずうしくもサインをもらって、一緒に写真をとって、握手までしました。
これぞ「一歩踏み出す勇気(=栗城くんの著書のタイトルに同じ)」です。
ナマ栗城史多くんとの感激のご対面。良き日なり、良き日なり。
国会議事堂前にある憲政記念館で開催中の「激動の明治国家建設展」と、皇居大手門内にある三の丸尚蔵館で開催中の「ご成婚50周年・ご即位20周年記念展」~いずれも入場無料の展示と知って、散歩がてら2本立て鑑賞へ。
憲政記念館へは今回で2回目、昨年の今時分に開催された「怒涛の幕末維新展」以来だ。
ここの展示はその機関の性格上、公文書や書簡などの地味な品々が中心だが、「こんなものまで残っていたのか」と驚くようなものが混ざっていることがある。今回でいえば、佐賀の乱の後 逃亡中だった首謀江藤新平の写真入り指名手配書、西南戦争の最中 西郷軍が発行した不換紙幣「西郷札」、そして明治8年当時 いち早く立憲政体を構想していた木戸孝允が記した筆書きの「政府改革図案」など。
なかでもこの「政府改革図案」が興味深い。
天皇を中心とした新しい国の組織図案を、今でいうA3サイズの和紙に、四角い箱枠をピラミッド型に重ねるようにして記された私的なメモのようなもの。その表現方法は、現代の我々がPCでパワーポイントを使って作る体制図などと殆ど変わらないのが、驚きだった。そしてその乱筆ぶりから、暗中模索する木戸孝允の悩める様が窺える。こんなものまで、よく保管して整理していたものだ。
憲政記念館から皇居桔梗門へと抜け、三の丸尚蔵館へ。ここは日本かとおもうほど、外国人観光客であふれていた。
今も天皇陛下が1年を通して15回も執り行うという神事祈祷で用いられる装束や祭礼具の数々が展示。しかしながら、巨漢の外国人団体に展示ガラス前が占拠されていたため、展示品はほとんど見えない。ただ、彼らは展示鑑賞のマナーが良いのが救い。物静かにゆったりと鑑賞する品のよさを、日本人団体客も見習わなくては。
片足を投げ出すように座っていたり、地面に寝そべっていたり、卒然と立ち上がったような姿だったり、またその骨格も男性的な逞しいものから、しなやかな女性的なものまでー仏像に代表される仏教美術が、時を経て国から国へと伝わる過程で、変化を遂げたことはよく知られている。
ただ、密教における密教美術の変化と相違が、チベットと日本とでこれほどかけ離れたものとなったことは、あまり知られていないのではないだろうか。
現在、上野の森美術館で開催中の「聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展」では、チベットの地で10世紀以降に独自の発展を遂げたチベット密教の密教美術と法具の類が120点あまり展示されている。曼荼羅図、三鈷杵などの法具類は日本の真言密教と同じようなものながら、立体となった偶像の姿は、日本のそれとは違い過ぎていて、元(もと)が何だったのかさえ想像できないほど。
この異形の偶像を見て、"信じる"という気持ちになる日本人は、おそらくいないのではないか。
しかしながら、人間の想像力というのは幅広く、底知れず奥深いものだなぁ、という気持ちにはさせてくれる。
ちなみに、この「聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝」展を観たのは、この8月 札幌の道立近代美術館開催につづいて、今回の上野で2回目。物好きといわれればそれまでだが、一度観たくらいでは理解できないほど、不思議がいっぱい詰まった展示企画なのだ。
司馬遼太郎の「空海の風景」という作品に魅せられてからというもの、いつかは訪れてみたいと想い焦がれていた高野山へ、この連休を利用して行って来た。
大阪 難波駅から南海電鉄に乗って麓の極楽橋駅まで1時間半、ここから山頂の高野山駅へはケーブルカーで5分。行こうと思えば1泊2日でいける近さだったのだ。
標高820mの高野山は、山頂部がナタで切り落とされた口のように巨大な平地となっている。
東西5キロ、南北1キロの平地には、切り開いた杉木立の中に色とりどりの伽藍や寺院、塔、門が建ち並び、これをとりこ囲むように走る国道沿いに、宿坊、飲食店、みやげ物屋、学校、交番、銀行などがどこまでも軒を連ねている。1200年前、この地で空海が夢想した真言密教の宗教都市も、これほど開かれた賑やかなものではなかったかと思われる。
高野山の東端、空海が今も”入定”されたままの姿にあるという奥の院から、西の端の大門まで、約5時間をかけて徒歩で巡った。
これまでに何度となく「空海の風景」を読み返し、高野山関連の観光ガイドも頻繁に目にしていたおかげで、ほとんど地図を見なくても歩き廻ることができた。
ただ、書物や写真ではうかがい知ることのできなかった風景の遠近感や、声、音、匂いなどが地面から沸き立つような力となって、一歩足を踏み出すほどに肩のあたりを掴まれ、体ごと揺さぶられるような感覚を覚えた。
そして、奥の院エリアと大伽藍エリアとの結び目となる”一の橋”で、どの観光ガイドにも出ていなかった「司馬遼太郎 文学碑」に遭遇。
碑文を見ると、昨年(2008年)9月に高野山開山1200年記念事業として、高野山僧侶の発意で建立されたものらしい。
当時は、ちょっとしたニュースになったようだが、うかつにも知らなかった。
”ここで修行する私たち僧侶も、司馬先生の「空海の風景」から多くのことを学びました”という僧侶たちの感謝の気持ちが記念碑建立の理由だという。
なんと作家冥利に尽きるではないか。
これからは、高野山境内の真ん中に司馬遼太郎の碑がある、ということが、はじめて高野山を訪れる人たちにとって心の拠りどころになることだろう。